005,=日医を激励する= (2002/09/02)
(日本医事新報2002年7月6日)
山口 正民

 私は昭和四十六〜五十七年、日医選出の中医協委員として武見太郎日医会長の指導の下、中央において診療報酬を中心とした審議の戦いに参加した経験を持つ者である。“戦”とは、まさにに昼夜を問わず不定期に支払者側との間で激しい応酬を重ねて時を過ぎるのを忘れ、審議打ち切りとなって初めて深夜となったのを知り、時には翌朝早暁に審議が終ったこともあったからである。
 現在と当時とでは背景が違うし、“日医を激励する”などとははなはだ潜越であることも重々承知であるが、今、医療の危機に際して、往時を思い一言申し上げたく筆をとった次第である。

 最近の日医ニュースを見て驚いた。新副会長の記者会見での発言要旨に、「介護保険の改定を診療報酬改定のモデルケースにしたい。…日医総研は残念ながら日医事務局と一体となって総力戦を挑むところまで至っていない。…執行部全員が同じ考え方で各種の課題に望むことが大切である…」と。
 戦は既に続いており、この反省は遅きに失すると言わざるを得ない。この発言は日医を信ずる者として遺憾の極みであり、今回の会長選挙の結果は当然といえよう。もっと厳しく対処すべきと思う。
 また、同誌には「日本の医療の実情」と題して日医総研研究部長の石原 謙氏の論文が掲載されているが、その中で「国民に無用な我慢を求める医療改革という名の改悪は、医療危機というよりは、むしろ国家の危機ではないだろうか…、患者を守るべきプロフェショナルフリーダムを思えば、皮相な一部経済人の市場経済論における医療改革という名の医療制度破壊には断固立ち向かわなければ、患者を守ることにならない。志ある医療人ならば、経済論を超えた見識でこの国を守ろう」と、石原氏のご意見に同感である。

 私事にわたって恐縮であるが、私たちは患者のために言うべきことを言い、戦う立場にあるのは当然である。私は中医協の委員としてたびたび上京したが、開業医としてまったく予定の立たない会議に出ることは、ただ“休診する”と一言で片づけられるほど生やさしいことではなっかた。常に患者の容態が気になり、責任を思えば、不毛の会議に長い時間を費やすことは堪えられないことであった。大きな犠牲を払っての審議の結果が“苦渋の選択”と言わなければならないとは、責任ある者滅多に言うべきことではない。
 去る平成九年十一月、大阪府医の創立記念式典があり、私は思いがけなく感謝状をいただくことになったが、「今喜んでいられる時ではない。むしろ責任を感じる時だと思う。激励の辞を言わせてほしい」とお願いして、謝辞を述べた後、「今回の健保法の改正で薬剤の二重負担が決まったことは、大阪のような中小企業の多い街の人々には絶対に承服できない決定である。府民に対して申し訳ないことである」と述べた。
 今回の診療報酬改定に対して、日医は代議員会議長名で抗議文を首相に提出しているが、抗議文はあくまで抗議で終わり、撤回や改正を望むものではない。既に健保法等改正案は衆院で可決され、本人の三割負担はほぼ確実となった。特に、今回の再診料逓減の導入については、医師の技術料を軽視しているというよりも無視するもので、長い再診料獲得闘争の歴史を考えれば言語道断であり、第一線医師の誇りを失うに等しい。この事態に対して日医新執行部はいかなる行動をとるのか具体案を示すべきである。
 日医の署名運動や一部他県医師会の大会、最後は日医会館での大会等は無力そのものであったと感ずる者も少なくない。まさに行動力の欠如である。
 医療の危機は長く医師会の歴史上言われてきたことであるが、今回は国の危機とともにあるだけに事は重大である。新執行部の決断を待つよりほかないが、少なくとも昨今の政治家、企業のリーダーに見られるような責任行動は、国民の生命を預かる者としてはあってはならない。先人の志を思い、一言激励申し上げる次第である。
(箕面市 箕面育成園付属診療所)